心の健康や社会適応の状態が示され、ふだんでもよく耳にする「自己肯定感」。自己肯定感は「自分を全体として、肯定的に捉える度合い」のことです。実はこの言葉、日本独特の言葉だということをご存知でしょうか。心理学のセルフ・エスティーム(self esteem)の訳語ですが、日本文化が創り上げた人々の特徴を表現する独自の言葉と言えます。
1.セルフ・エスティームと日本文化
セルフ・エスティームを、日本の文化と風土の視点から見ていきます。当初の定訳は自尊感情と自尊心であり、自己肯定感が訳語に加えられた経緯を見ていきます。「自尊心」は定訳の一つですが、場合によっては相手を見下すプライドと誤解される可能性があり、本稿では原則として用いません。
セルフ・エスティームの中核には「自己への尊敬」があります。これは、日本の文化で美徳とされる「謙虚さ」や「つつしみ深さ」と、時に相反する性質があります。
あえて図式化してみましょう。「自分のことが好きですか?」と尋ねられた際、欧米人は「イエス」とストレートに答えがちな一方、日本人はためらうことが多いと言えます。この違いこそが、日本の文化や風土に由来する「自己への尊敬」の捉え方であり、セルフ・エスティームにもう一つの訳語が生まれた背景と言えます。
日本人が見せる慎重さは、決して自己評価が低いからではありません。そこには相手への気遣いや、円滑な人間関係を築こうとする動機があります。対して欧米人のストレートな回答も、周囲への配慮を欠いたものでもありません。
こうした自らの自尊心より、双方の関係性を大事にする日本人の考え方と感性に合うよう捉え直した言葉。それが「自己肯定感」です。
しかし、この言葉は最初から今のような意図で作られたわけではありません。出発点は、心理学者の高垣忠一郎氏がみた不登校支援の現場にありました。「自分が自分であって大丈夫」という感覚を心の土台として、ありのままの自分を大切に生きてほしい。この言葉には、そうした切実な「願い」が込められていました。
ところが現在、この言葉には二つの課題が浮かんでいます。一つは、定義が「自己受容」とされたことで心理学用語として確立されず、解釈が乱立したこと。二つ目は、教育現場であり、自己肯定感の本来の意味が失われようとしています。まずは改めて、セルフ・エスティームの基本と高垣氏の自己肯定感をみていきましょう。
2.セルフ・エスティームと高垣氏の自己肯定感
セルフ・エスティーム
個人が自分の価値や存在をどう認識し、肯定的に捉えるのかという全体的な自己評価です(アメリカ心理学会『心理学辞典』)
これは自己概念に対する評価です。
[自己概念]:自分自身に対して抱いている信念、態度、認識の全体像
[評価]:それに対し、価値の重みづけを行うこと
つまり、特定の結果や技能を客観的な基準で測る「能力評価」ではなく、自分の性格、能力、対人関係を含む自己の全体像に対して、主観的に価値づけた度合いです。
平易には「自分を全体として、肯定的に捉える度合い」。
[特徴 心の健やかさのバロメーター]
自分を全体として肯定的に捉える感覚は、心の健康度を知るためのバロメーターとなります。
もしも過度に低い状態が続くと不安やうつを招くリスクが生まれます。その場合はリスクを否定せず、ありのままに認める「自己受容」のプロセスが大切になります。これはセルフ・エステームをコントロールするのではなく、本人自身を支える作業であり、心の健康を回復させていくためのアプローチです。
[発達と維持]
セルフ・エスティームは、幼少期の養育者との関わりを通して、長い時間をかけて形成されるしなやかな心の構造と言えます。大きなストレスで一時的に低下しても、健全な基盤があれば、時間をかけて元の状態へと戻ろうとする適応力が働きます。このようにして生涯を通じて機能し続けます。

高垣氏の自己肯定感
高垣氏は「登校拒否とはなにか-なにが問題か」(『教育』、514号、1988年、教育科学研究会編、国土社)で「自己肯定感」という概念を創案しました。学術論文ではないため、概念の規定はされず現場に根ざした考察です。高垣氏については、高垣氏略歴をクリックしてください。
『私の出会ってきた登校拒否の子どもたちは、外向きに自己主張や攻撃性を発揮できない子どもが多い。(中略) 何かあるとすぐに自分が悪いと思ってしまう独特の「感受性」をもつ。(中略) その背後に自分を受け入れ「自分が自分であって大丈夫なのだ」と感じる自己受容や自己肯定感の希薄さを感じさせる』と述べ、不登校で悩む子どもには自己肯定感の弱さがあるのではないかと主張しました。
この自己肯定感は、幼少期に養育者から「丸ごと受け入れられた」経験が心に根づくことで育まれます。ありのままの自分が受け入れられることを通じて、養育者への信頼、そして自分への信頼が築き上げられていくと考えられています。
こうした「自己肯定感」に、セルフ・エスティーム研究者が着目しはじめます。でも、彼らの関心は高垣氏が考え抜いた不登校問題にはなく、日本人になじみみやすい用語を検討することでした。そうして2000年あたりから、高垣氏の思想的背景は脇に置かれ、セルフ・エスティームの訳語は自尊感情から自己肯定感に移行するようになっていきます。
3.残された課題
この言葉が生まれて約40年。今ではすっかり日常に溶け込んでいますが、広まった裏には、見過ごせない問題も出てきています。
一つは自己啓発の世界です。そこでは、成功するための「道具」や、「できる」と認知する「自己効力感」と混同されています。もう一つは教育の現場です。ここでは「人の役に立つ」という「自己有用感」を、自己肯定感の中に組み込もうとする動きがあります。
しかし、これらの二つは本来の自己肯定感ではありません。どちらも「自己肯定感」という言葉は使っても中身は、まったくの別物です。
○一般社会での「自己肯定感」の落とし穴
ビジネス書や自己啓発の世界では、自己肯定感を「年収を上げるための自信」や「心を操るテクニック」のように、ただの道具として扱う傾向があります。そこでは「技術を使えばすぐに高められる」と語られたり、逆に自己肯定感が低いことを、まるで心の病気のように扱ったりする場面が見かけられます。
ある自己啓発では、「自分にポジティブな言葉をかけ続ける(アファメーション(肯定する))」という手法が使われています。これは「自分はできる」というイメージを無意識に届ける自己暗示の技法です。これを中心に据え、複数の技法を組み合わせたものが、自己啓発のビジネスモデルの一つと言えます。
○教育現場における「役に立つ自分」という考え方
学校では、本来の自己肯定感に「人の役に立つ(自己有用感)」という考え方を組み込む動きが進んでいます。
これは、一見「自分を大切にする心」を育てるように見えます。しかし実際には、自己肯定感を「他人の役に立つかどうか」で決まる、条件付きの評価への大きな変更です。
このような組み替えが行われると、不登校の子どもが「わたしは何にも人の役には立っていない」と悲痛な声を上げるように、子どもたちを混乱させる原因になってしまいます。
最後に
ここまでセルフ・エスティームと高垣氏の自己肯定感を見てきましたが、いかがでしたか。これらは元々異なる概念ですが、見つめる先は同じ「幼少期」という人格形成の出発点です。
現代の心理学では、高垣氏が主張する「自分が自分であって大丈夫」という感覚が「心の土台」になるには、「自分が丸ごと受け入れられた」という安心感が根づく必要があります。これは愛着理論でいう「安心の基地」が心に培われる過程のことです。
この時期の子どもは、「安心の基地」を支えに外の世界へ踏み出し、「自分の力でできた」という手応えを積み重ねていきます。その確かな実感が、一生続く自己肯定感の第一歩となっていきます。
私たちは、自己肯定感の成り立ちと意味を知ることで、国際比較の数値に一喜一憂する必要はないことが理解できました。心の健やかさのバロメーターを活用しながら、教育や育児においては「ありのままを受け入れる」という本質を押さえること。これこそが、今の社会で見失われがちな最も大切な視点ではないでしょうか。
「自己肯定感」を生み出した高垣氏は、数年前(2024年)に泉下の人となりました。氏が遺した独自の考え方は、これからも色あせることなく、私たちの心に残り続けます。
それだけでなく、セルフ・エスティームの訳語としての自己肯定感は、日本で生きる私たち一人ひとりを見つめる「大切な手がかり」として、いっそう重みを増していくことでしょう。


