久々のブログです。今回は「神経多様性(発達障害)」と題してふだん感じていることを書き、次回はそれに関係する読書案内を行う予定です。
神経多様性(ニューロダイバーシティ)とは、発達障害だけでなく脳や神経の多様性を個性として尊重し社会に活かしていこうとする考え方で、提唱はオーストラリアの社会学者のジュディ・シンガーです。
HPの本文では神経多様性を発達障害と書いていますが、このブログでは神経多様性(Neurodiversity)と記します。理由は現状では「発達障害」の方が「神経多様性」に比べよく知られており、初めてHPをご覧になる方にはなじみのある用語を使う方がわかりやいと考えたからです。
でも本来の趣旨は「神経多様性」にあると思っています。ブログを読み進めていただいた方々にはジュディ・シンガーの意図をご理解頂けると幸いです。
数ヶ月前のこと。信頼する精神科の先生に成人女性の相談を持ちかけたことがあります。「それ、自閉スペクトラム症の症状ですね。まずそこ、自閉の方はいろんな症状がありますから」〈でもその方ADD(不注意優勢型ADHD)で、特有の症状があるんです〉「そうなんですか。でもウチはASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如多動症)を特には区別しません。たいてい両方持っておられますから」。そう聞くと〈…解りました。ありがとうございました〉と相談を終えたことがあります。
同じ頃、EMDR学会の大会(茨木市)に参加すると別の精神科の先生に出会い、同じ話題になりました。「児童精神科(神経発達症専門)と、大人しか診ない精神科は違いますね。大人だけ診てると、どうしても一括りですね」とのこと。
学会では杉山登志郎先生が登壇、「ASDとADHDは共通の遺伝的要因があります。エピジェネティクスによってASDとADHDは別れることになります」と発表、これはLD学会でも耳にする話題です。
この場合の遺伝は多因子遺伝と呼ばれ、複数の遺伝子が組み合わさり影響を及ぼし、そこにエピジェネティクスが関与する仕組みです。エピジェネティクスは遺伝子のオン/オフを切り替えるものです。ASDとADHDの遺伝的要因は全く同一ではなく共通部分があり、その部分に生育環境(エピジェネティクス)が加味され、オン/オフが作動するとASDとADHDに別れて行くというものです。
毎年、特別支援教育士の京都府の集まりが6月にあります。今年は久々の出席。
お昼休みに旧知のA先生が話しかけてこられます。「5年の男子、ADHDで明るくて元気。時々、トラブルを起こします。相手の子は決まって同じ子。その子は家庭にちょっと(問題があります)……」。
「ADHDの子(Bくんと表記)は勉強ができ口も立ちます。二人の口論ではBくんが目立ち、相手が手を出すと二人でけんか。相手の子は神経多様性とは無縁(で生育歴に課題)です。でも、ぱっと見は二人ともちょっと乱暴に見えて同じ。子どもの理解が一番大事なことは分っていますが、これからどんなことができるのかなって、思って……」
〈そうなんですね。で、その子にうっかり(不注意)は?〉「少ない方(このタイプでは)、でも算数の文章題で単位の書き忘れをしては『あぁ、100点やったのに』とよく言ってます」〈なるほど…。で、いい所は?〉「よく動きよくしゃべる。で、よく見ると周りの子への面倒の見がいい所があります」
〈それいいですね。面倒見のよさって、どんなふう?〉「PCを使った授業だと『これ、どう(解る)?』って聞いて、分らない子に教えてますね」〈それ、もっと広がるといいですね〉「広がるって?」〈クラスのみんなに広がる、みんなに認められて広がって行く……〉「みんなが認め、そのよさが広がる。なるほど…、あの子のよさがみんなに認められ、それが広がる。……そうすると…、あの子も少しずつ変わって行くかもしれない……」。
ここには、子どもの神経多様性をきちんと捉える小学校の先生がおられます。一人ひとりを大事にするしっかりした先生です。短い会話の中には併存のない(と思われる)ADHDの子の姿がくっきり描かれていました。
(A先生、Bくんの発言の中身は架空のものです)