今やマインドフルネスはトレンドであり、ストレスが軽減したり感情がコントロールできたり、仕事面では注意力や集中力の向上や創造力が高まったりするとまで謳われています。フィットネスクラブやヨガ教室、寺院にオンライン受講など様々な所で体験でき、医療や心理療法に組み込まれたりビジネスや教育分野に特化したものまであります。
マインドフルネスについて考えていきます。
最初にざっくり体験の中身の紹介です。瞑想のリラックス効果が得られます。ビギナーズラックのように初体験では感動を伴う場合があります。瞑想が手の内に入れば、自分の思考や感情のくせに気づくこともできます。マインドフルネスは基本的に副作用がほとんどなく、トラウマがあったり重度のうつ病、精神病以外の方は安全に行うことができます。youtubeやCDでの単独の実践も可能ですが、リラックスよりさらに深い体験が得たい場合はインストラクターなり誰かにつくことをお勧めします。
マインドフルネスは瞑想であり、仏教瞑想のエッセンスを医療と心理療法に導入した瞑想エクササイズです。仏教にはインドから東南アジアに伝わる南伝仏教と中国経由の北伝仏教があり、マインドフルネスは南伝仏教(テーラワーダ)のピバッサナー瞑想をもとにしています。ヨガがヒンドゥー教の修行法から宗教色を排し健康体操として改編されたように、マインドフルネスはアメリカのカッパトジンが仏教色を除き8週間プログラムの瞑想エクササイズとして再構成したものです。
マインドフルネスの定義は「意図的に、今この瞬間に価値判断することなく注意を向けること」です。
日本の仏教には「止観(しかん)」という修行法がありテーラワーダのサマタ・ピバッサナーに対応します。「止」はサマタで集中瞑想、「観」がピバッサナーで洞察(気づき)瞑想です。これが日本のお寺でマインドフルネスができる所以であり、マインドフルネスはアメリカからの逆輸入でも、根幹のものは日本にも存在しています。
マインドフルネスにはカッパトジンが開発のMBSR(Mindfulness-Based Stress Reduction)、認知行動療法を加えたMBCT(Mindfulness-Based Cognitive Therapy)、同様でオーストラリア発のMiCBT(Mindfulness-Integrated Cognitive Behavior Therapy)があります。
これらをみていきましょう。座って行う瞑想に呼吸瞑想とボディースキャン、慈愛(慈悲)の瞑想があり、日常生活に活かすために歩く瞑想や食べる瞑想があります。
座り方は、座位でも椅子でもOKで楽な姿勢で座り背筋を伸ばし肩の力を抜きます。目は閉眼です。でも短時間でも眠ってしまう場合は半眼をお勧めします。半眼はまぶたの力を抜いた薄目の状態に近く、斜め前方1~1.5m当たりを見て、うっすら光が入ってもピントが合っていない状態です。
瞑想は思いを静め手放すことが入り口で「今、ここ」の自分の観察からはじめます。呼吸瞑想ではふだんの呼吸を行いながら呼気と吸気の温かさや湿度の違いを観ていきながら、静まった思いが浮かび上がればそれに気づき、呼吸観察に戻ります。思いが浮かべばタッチして呼吸にリターンします。この「タッチ&リターン」をくり返しながら瞑想を続け、できるだけ呼吸に集中するようにしていきます。呼吸瞑想ではふだんの生活とは異なる呼吸している「今、ここ」の自分に注目し続け、気がつけば気分は穏やかなものに変化しています。
呼吸瞑想に慣れるとボディースキャンが行えます。ボディースキャンは体全体を観察する瞑想です。この瞑想では感覚をさらに研ぎ澄まして行います。例えば頭部のボディースキャンでは口びるや舌などの感覚は分りやすくても、頭のてっぺんのスキャンは分りにくいものです。きめ細やかに注意をこらせば、ほんの少しむずむずするように感じたりアリが歩いているような感覚が得られたりするかもしれません。こんなふうにして体のすべてをスキャンしていきます。
ティックナット・ハン(ベトナム人僧侶)のグループではこの瞑想をトータルリラクセーションと呼んでおりリラックス効果があることが分ります。
MiCBTはボディースキャンの延長にスウィープ瞑想があります。スウィープでは自律訓練法の温感に似た感覚が得られます。これは温かさそのものではなくMiCBTではわずかに振動する感覚と表現され、毛糸の手袋をはめた時のぼわっとした感じからジーンとしびれたりジンジンするような感覚です。この瞑想ではボディースキャンと同じ作業を行い、スウィープしながら体全体の感覚をみていきます。
慈愛(*慈悲)の瞑想では呼吸が穏やかで思考は手放せた状態で行います。「○○さんの毎日が平穏でありますように」「健康でありますように」「幸せでありますように」とその人に合わせた言葉を創り祈ります。まずは自分、ついで親しい人、そして嫌いな人、さらにはすべての生きとし生けるものへと慈愛の言葉を捧げていきます。
歩く瞑想は一挙手一投足をスローモーションで行うことで、一瞬ごとに少しずつ動いていく体感覚を描写するように実感していきます。
食べる瞑想ではレーズンやアーモンドチョコレートをまず眺め匂いをかぎ、口の中に入れても直ぐにはかみ砕かず舌でころがしながら味わい、変化していく風味を確かめていきます。
MBSRとMBCTでは簡単なヨガのアーサナ(ポーズ)を取り入れています。呼吸と体の動きを感じることが目的で、ヨガの動きそのものが実現されることではありません。余談ですが、ヨガ教室にはヨガ瞑想に力点を置く所があります。ヨガの呼吸瞑想はマインドフルネスとほぼ同じです。ヨガ瞑想に熟達されたインストラクターのもとではマインドフルネスと同じような体験ができる場合があります。
8週間プログラムはこのような流れで瞑想を一日45分から30分×2で行われます。こうした瞑想を行うことで「タッチ&リターン」やボディースキャン・スウィープ瞑想で思考や感情が体の微細な感覚として感じられ、瞑想の中でそれがどこから来ているのかに気づく場合があります。それは純粋な思考、純粋や感情と呼べるものかもしれません。気づきの(洞察)瞑想とは、本来の自分に出会える瞑想であると言えます。
これ以外のマインドフルネスには、子ども用のマインドフルネスMiSP(Mindfulness in Schools Project)、依存症治療にはMBRP(Mindfulness Based Relapse Prevention for Addictive Behaviors)が開発され、慈愛の瞑想の発展型にセルフコンパッションMSC(Mindful Self-Compassion)があります。
当オフィスではMiCBTを取り入れています。マインドフルネスは多くの心理療法とはひと味異なります。対話がメインではなく来られた方ご自身が自らと対面するものだからです。瞑想の魅力に触れることができた方は、8週間プログラムの終了後にも日常生活に瞑想が自然に溶け込んでいると語られています。
*仏教理解に詳しい方は慈悲の瞑想の構成に不自然さを感じる場合があります。慈悲とは抜苦与楽(人々の苦悩を抜き幸せを与えるもの)であり、仏の救済力だからです。本来は8週間程度の瞑想で到達できるものではありません。ここには言語と再編成による瞑想の本質問題があります。慈悲の英訳には等価に近い単語はなく、最も近いものがcompassionで反転邦訳は「思いやり」となります。そのためいくつかあるMBCTには「思いやりの瞑想」と訳したものがあり、翻訳者のマインドフルネス認識が妥当であることが示されています。

